平成22年度 春季関西学生法律討論会 論題


分野:刑法

 X男は、Aと同棲していたところ、Aとその離婚した夫との間の子B(1歳0ヶ月)に身体的虐待を日常的に加えていた。平成22年8月1日、Xは、Aが仕事に行っている間、Bの面倒を一人でみていたところ、Bが泣きやまないことに腹を立て、殺害しようと決意し、Bの両肩を各々手でつかんで激しく揺さぶり、 Bに眼底出血、くも膜下出血及び硬膜下血腫を生ぜしめた。Xは、ぐったりしたBを見て、とんでもないことをしてしまったと後悔し、119番通報した。その際、Bが子ども用の椅子から転落したと虚偽の事実を申し述べた。間もなく、Bは救急搬送された。
 Bの搬送先の医師Cは、Bの治療に当たったものの、Bが脳死状態に至っていると診断し、臓器移植コーディネーターに連絡してAとの対応を委ねた。臓器移植コーディネーターは、Aに対して脳死や臓器移植について適切に説明を行った。Aは、XによるBに対する日常的な虐待を思い返し、Xの何らかの行為により Bが脳死になったと推測した。しかし、Bが脳死判定に基づき臓器移植がなされれば、XによるBに対する犯罪行為を隠蔽することが可能となると考え、Xを失いたくないと思ってBの脳死判定及び臓器移植に同意した。
 これを受けて、医師Dは、医師Eとともに、Bの脳死判定を行った。その際、Dは、誤って最初に無呼吸テストを行うなど、脳死判定及び臓器移植に係る通達やガイドラインの一部に違背した。なお、このことにより、Bの容態が悪化したり、死期が早まったりするなどの影響はなかった。Eは、Bの体に多数のあざやタバコの押付け痕があることを見付け、Bの眼底出血、くも膜下出血及び硬膜下血腫がXの虐待行為によるものと確信したが、警察による事情聴取などが面倒であると感じるとともに、小児の臓器が貴重であることから移植を待っている子どもたちを救うことが望ましいと考え、虐待に気付かぬふりをして、脳死判定を行った。そして、D及びEは、Bが脳死状態にあるとの結論に至った。
 医師Fは、脳死判定の結果を受けて、Bの肝臓及び心臓を順に摘出し、Bを死に至らしめた。さらに、その後、Fは、Bの角膜を摘出した。
 看護師Yは、Fと不倫関係にあり、結婚の約束をしていたが、Fの妻が妊娠したことを知ってFに対する恨みを抱いていた。Yは、Fが小児の臓器移植で手柄を立てることを妨害しようと考え、Fが占有する心臓、肝臓及び角膜を破壊して移植不能にすることを決意し、他の医療者や関係者の隙を見て、Fが占有する心臓、肝臓及び角膜をメス様の物で切り付けて破壊した。このうち、肝臓は、摘出時から状態が悪く、Yが切り付けた時点で既に移植不能の状態にあった。心臓及び角膜は、Yが切り付けたことにより、移植が不能になった。
 Xは、殺人既遂罪の罪責を負うか。Yは、器物損壊罪の罪責を負うか。脳死が刑法上の人の死に当たらないとして、それぞれ論じなさい。

出題:関西大学法学部准教授 永田憲史